おさななじみ。

ここしばらく仕事が立て込んで、私的なメールの確認ができていませんでした。

もっと早く見ておけばよかった、そんな後悔です。

小学校のころ、一緒に走って、泳いで、野球をしたり、

もうめいっぱい一緒に遊んだ男の子(当時)が亡くなったという知らせ。

恐らくその当日にもらったメールだと思います。

きょう返信したら、祭壇に飾られた遺影と位牌の写真が添付されてきました。

脳梗塞だったそうで、恩師が御供養してくださったようです。

小学校のころ、田舎の小学校で数少ない転校生、いじめられることも多かった。

でも、彼は男女の区別なく、もう全身全力で対等に遊んでくれた。

お転婆の私には、いじめられることもなく、

暗くなるまで、もう疲れ果てるまで遊べたことがどれほどの救いになったかわからない。

同い年で亡くなった友人はほかにもいたけれども、

今、ケンちゃんがなくなったことがこれほどショックだとは自分でも驚いている。

思い出すたびに、涙が出てきます。

悲しいのか、悔しいのか、わかりません。

でも、なぜか涙が出てしまうのです。

53歳、いろいろな感情を経験し、それを消化することもできたと思っていましたが、

この気持ちはどうにも言い表せないし、自分でも何が何だかわからない。

正直キツイです。

 

大阪マラソン、最高!

10月30日、無事大阪マラソン完走いたしました。

2013年にチャレンジランに当たって、

当時は「いつ手術する?」と整形外科で言われる状態でありながら走り、

それから、臼蓋形成不全を克服しながら走れるようになり、

去年はせっかくフルマラソンに当選しながら、

足底筋膜炎で走り出しながらも、14K でDNF(泣)

3年越しで、やっと大阪城からインテックスまでを走り切ることができました。

正確に言うと、途中歩いたので、自分の足で踏破したということになりますかね?

 

昨年は、歩くたびに、左足のかかとに、下から釘を打ち込まれるような痛みで、

それでも落選した人のことを思えば、とにかくスタートラインに立たなくてはと、

よくよく考えたら、バカなことをしてしまいました。

 

せっかく当選した今年こそは完走するぞ!と意気込んで練習したはいいのですが、

やはり左足のかかとににぶい痛みが残り、10月30日が近づくにつれ

「また痛んだらどうしよう」と、不安でたまりませんでした。

10月に入り、やはり痛みが残り、足底筋膜炎に特化した整体の先生に相談すると、

「痛みなしにしたかったら、走るな。たぶん今練習すると、痛みが残る」と言われ、

痛みなく、スタートラインに立つことを選び、この1カ月、全く走りませんでした。

 

当日は、「痛くなったらどうしよう」という不安でいっぱいでしたが、

さて走り出すと、もう久しぶりに走れるうれしさと、

大阪マラソン、ランナーや町のにぎわい、沿道の方々の声援など、

もうそれは楽しくて楽しくてたまりませんでした。

 

去年お世話になった中央公会堂前の救護所を過ぎるときは本当にどきどきしました。

淀屋橋を越えたときには、もう完走したような気分にさえなってしまいました。

しかし、14K超えたころから、どうも足がピリッとするような???

やはり練習不足がたたり、湊町のあたりでとうとうこむら返りを起こし、歩いてしまいました。

両足ともこむら返りになり、歩くというよりも、倒れ込むようになってしまい、

スタッフの方々に肩を借りて、マッサージをしてもらい、ストレッチをして、

治ると歩き、攣ると立ち止まりを繰り返し、それでも30Kまで行きましたが、

とうとう30K付近ではしばらく動けなくなってしまいました。

スタッフの方々や、ドクターのランナーの方にもマッサージなどしていただいたのですが、

ランナーズアイでみると、この30Kから35Kの間でなんと57分もかかってます)

「次の関門に間に合いそうにないし、もう救護所から迎えに来てもらおうか?」と言われましたが、

「いやや、絶対走る(歩く?)」とお断りし、だましだまし、小走り、歩きで

何とか最後まで完走することができました。

 

気合と根性だけが取柄の私が、本当にそれだけで完走することができました。

いえ、違います。

あきれながらも、マッサージしたり、肩を貸してくださったり、

沿道から応援してくださった、周りの皆様に助けていただきながら完走できたと、

そう本当に感謝しています。

 

途中、難波では、今回落選で走ることができなかったムスメ1号が、

なんとアルバイトスタッフで立っていて、ミカンとサロンパスの差し入れまでしてくれました。

これには驚きとともに、ムスメのやさしさに涙が出てしまいました。

ありがとう、私の育て方は間違ってなかった?!

 

大阪マラソン、本当に最高です。

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お世話になった皆様、ありがとうございました。

 

 

初心にかえる・・・?

そもそもなぜマラソンを始めたのか?

 

理由その1

先に走り出したムスメ1号の送り迎えをしていたとき、

(なぜかマラソン会場って車で行かなきゃ不便なところが多いんですよね~)

ゴールするまで待っているのが非常に退屈だった。

 

理由その2

ムスメ1号の中学校の担任が、かつての高校での陸上部の大先輩だったのですが、

家庭訪問で再会した時、「痩せや!マラソン走ってみ!」という

非常に心強く 有無を言わせない ありがたい一言でした。

そのあまりの威圧感に 「は、走ってみます~」と即答。

それから何年かが経過して、

また別のマラソン大会で同じ状況に 追い込まれた 恵まれたということ。

 

理由その3

実は私、股関節唇損傷を患っておりました。

ムスコ1号(1号のみ)がかかりつけのスポーツ整形外科で見ていただいたのですが、

スポーツ界で権威のある、その先生がおっしゃるには、

「あ~こらあかん、右の股関節、人工関節にせなあかんわ。切ろ」という一言でした。

もちろん、痛さよりも、もう自分の足で走れないんだという絶望感。

そして、3カ月入院リハビリを告げられて、もう目の前が真っ暗でした。

なんと弱いことに、その影響で突発性難聴になるなど、サイアク。(´;ω;`)

で、そこでどうせ走れなくなるなら、その前にできるだけのトレーニングで、

最後に自分の足だけでフルマラソンを走りたいと、そう考えたこと。

 

子どもの時から、逃げ足は速く、それが幸いして、短距離は結構得意でした。

高校では途中でやめましたが、小学校のころから陸上部(クラブ)に入っていて、

速く走れることがうれしくて、もう一生懸命走っていました。

あくまでも短距離。

だから、練習のときの長距離走は大っ嫌いで、

スポーツテストの時の持久走は、ただただ負けず嫌いで一生懸命走りましたが、

今のようなペース配分など考えず、ひたすら人に負けないように走りました。

だから、ゴールした時には、もう瀕死状態。

1年に一回の持久走、実は一番嫌いでした。

だから、まさか自分がフルマラソンにはまるとは思いもよりませんでした。

 

股関節唇損傷にも程度があるだろうし、

今の私は痛みもなく、走ることができています。

ですから、あくまでも私が走れるようになったという状況だけです。

全ての方が私のように痛みがなくなるというものではないと思います。

でも、私もそうだったように、痛みに苦しんでいるとき、

本当にわらをもつかむ気持ちでいろんな人の体験談を読み漁ったように、

少しでも参考になれたらと思います。

 

たぶん、機会を見て、少しずつ、その辺も書きたいと思います。

 

 

通天閣のエレベーターの天井にもこんなビリケンさんがいます。

夜の通天閣もオススメです。

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ひさかたぶりの・・・

いや、早いもので前記事から1年が経過。

はてな」さんから、「おーい、1年前こんな記事書いてたで~」って、優しく催促されて気がつきました。

この1年、苦難の日々(?)でした。

前シーズン、大阪、富山、奈良、京都、名古屋と快調に走るはずが、

まさかのケガでのリタイア(泣)

学生時代からの弱み、足底筋膜炎の再発です。

 

学生時代は短距離で、それは練習中であったり、本番であったり、

ピーンという足の裏の張りとともに、

「プツッ」という(自分にしか聞こえないであろう)音とともにつんのめって(終)

しばらくは歩行困難になるほどの痛みでしたが、

それでも若いころは2週間もあれば痛みはなくなりました。

 

今回は9月に地元であった30キロのウォーキング大会で

ちょっといろいろありまして、足早に歩いたところ、やってしまいました。

学生時代との違いは、痛くても休めないということ。

痛みのある足をかばいながら、ヒールを履いてお仕事をしたんですね。

ハイ、その日は我慢できましたが、次の日からもう激痛 (´;ω;`)

左足のかかとに何かが触れるだけでも痛くて、

上を向いて寝るとかかとに負荷がかかるので、

右を下にして、左足を乗せる格好でしか眠れませんでした。

歩くのもびっこひいてましたし、何より靴が履けない。

出仕事が終わり、在宅での仕事だけだったので助かりましたが、

カヌーサンダル以外は履けませんでした。

また、機会があれば書きますが、その後治ることなく、前シーズンは終わりました。

 

そして、今年ありがたいことに大阪マラソンで走れることになりました。

まだにぶい痛みがある左足のかかとですが、走るのには支障ないので、

様子を見ながら、痛ければ即中止、あくまでも持久力をつける目的で

ゆるゆると走っています。

進歩がないのですが、これまた今シーズン、「完走」が目標です。

 

先日、大阪市立美術館に行きました。

そのついでに、通天閣に行ってきました。

ビリケンさんに、足の痛みがなくなりますように♪とお願いしてきました。

・・・が、左足が痛いのに、右足さすってきちゃった (>_<)

こんなオチつけたくなかった~

 

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目の保養してきました (*^。^*)

先日森ノ宮ピロティで、佐々木蔵之介さんのマクベスを見てきました。

 

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ジャズライブなど、音楽系でホールなどへ出かけることはよくありますが、

実は、現代劇を生で見るのは初めてです。

(あ、歌舞伎と劇団四季は見てたわ・・・)

マクベスやるよ~、佐々木蔵之介ひとり芝居!

これは見に行かなくては!!と、佐々木蔵之介見たさの私と

マクベス見たさの娘とふたりで行ってきました。

音楽系のライブの場合、私は必ず最前列の席を取ります。

というか、取れなかったら行くのを諦めます。

演奏者の、それがピアノであったり、ギターであったり、

スピーカーからの音ではなく、生の音が感じられることが一番の楽しみであり、

演奏中の姿を生で見ること、

それはそれは楽しそうに、演奏する本人が自分自身の演奏に酔いしれるような、

そんな姿を生で見ること。

時にはミスタッチがあって、それをごまかそうとするところや、

ごまかし切れずに「sorry」とやり直すところ、

CDでは味わえない、それこそが生演奏の醍醐味で、

それを間近で感じるためにも、最前列の席にこだわります。

今回は抽選だったので、中段左側の席だったのですが、

舞台に関しては、全体が俯瞰できるほうがよいというのがわかりました。

たぶん、最前列だと、役者さんの息づかいが感じられて、それはそれでいいでしょうが、

舞台狭しと動き回る場合、やはり全体が見えてよかったと思います。

精神病院が舞台とあって、幕開けはちょっとセリフのわかりづらいところもありましたが、

中盤あたりからは、蔵之介氏も乗ってきたのか、なかなかの迫力でした。

ひとり芝居で、何役もこなさなければならなかったので大変そうでしたが、

たっぷりと見応えのあるお芝居でした。

途中、ちょっと大人向けの演出もあり、

ハタチの娘と一緒に見るのには、こちらのほうが気恥ずかしくなる部分もありましたが、

ドラマで見るのとはまた違った蔵之介氏に、娘もファンになったようで、

次のお芝居も見たいと大興奮でした。

次は11月に、大阪城での平成中村座を見る予定です。

 

空中ランニングコースへ行ってきました。

先日、大阪は森ノ宮にある、キューズモールのエアトラックに行ってきました。

本来は別の用事で行ったので、同伴の娘に「ちょっとだけ・・・」と言いながら、

エアトラックに寄ってきました。

本当は早い時間に出かけて、用事の前にひとっ走りしたかったのですが、

いつもながらの時間ギリギリ(泣)

ですので、歩くだけでもと行ってきました。

町中の広いショッピングモールの入り口から上を見上げると、ありました、アーチを描くランニングコースがありました。

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ショッピングモール2階の東急オアシスさんの横に入り口があります。

ですから、空中と思わせつつ、3階部分になるようです。

平日は夜11時まで利用できるのに、何と無料です。

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3レーンあり、ウォーキングのゾーンもあります。

全天候トラックのようにラバーではないのですが、上に人工芝が張ってあるので、

感触としてはラバーに滑り止めの芝が張ってあって、

なおかつ、ふわふわとした感触はなく、割としっかりとした地面を踏むような、私的には走りやすい感触でした。

本物の芝の上よりも、アスファルトの上よりも、足には優しい感触だと思います。

(おわかりいただけるでしょうか??)

1周は300mですが、大阪の町なみを眺めながら、

遠くには大阪城、ツインタワーなど、景色は抜群!

夜景なんかも、たぶんすごくきれいなんだろうと思います。

次、近くまで来ることがあれば、ぜひ、走ってみたいと思います。

うちの近所にもこんなのできないかなぁ・・・

現実逃避・・・しても無理か・・・はぁ・・・

ランニングとは全く違うお話ですが、

お仕事は順調に詰まっています、追い詰められています。

でも、時間は容赦なく過ぎていくし、

ただ、与えられた仕事を淡々とこなしていくしか仕方ないんですよね。

文句言ってる時間ももったいない。

同じようなことが今までからもありました。

2歳違いの子ども3人(自己責任ですけど・・・)がいて、

本来専業主婦のはずが働くことになり、

さまざまな事情から、すきま時間を使いながら働くことになり、

それがいつしか家事をすきま時間にやることになり、

赤子を背負い、足元で上の子ふたりを遊ばせて、

もう目まぐるしい毎日でした。

そんなとき、洗った食器を拭きながら思ったのが、

「この皿1枚拭けば、1枚分片付く。少しずつでもちゃんと、最後には全部片付く」ということ。

泣きながら、でも、パッと視界が開けたような気持ちになったのを覚えています。

だから、今も追い詰められた気持ちになると、

お皿1枚でもいいから、コップ1個でもいいから、洗って拭いています。

友だちにこの話をすると、

「なんか悲壮感たっぷり。でも、わかるような気がする」と言われました。

それと、「やっぱりアンタは打たれ強い」と励まされ(?)ました。

 

でも、これってマラソンにも近いんですよね。

「もうダメ、もう走れない」って思っても、

「あともう少し、あの電柱まで、あの給水所まで」、

そして、「生八つ橋、はよ行かな売り切れるやん」京都マラソンバージョンです)ってね。

 

自分ではネクラ、気弱な性格と思っていますが、

結構前向きなのかもしれません。

 

世間はお盆休みですが、私はきょうも通常営業です。